長禄元年(1457)太田道灌江戸城築城の時守護神として伏見稲荷を勧請したのを創始とする。
德川家康公入城後、今の宮城紅葉山に遷座し、慶長七年城地拡張の時、渋谷宮益坂に移し、江戸城の別名を取りて千代田稲荷と称し、附近住民の信仰篤くことに和宮御降嫁のさいに奇瑞を現わし、途中を守護したので着城後代参あり、鳥居等多くの寄進あり「江戸名所図会」にも載る。
大正十二年関東大震災の年に渋谷百軒店に地を相して神城を定め再度御遷座した。
戦災により社殿その他建造物を焼失したので役員総代等力を協して復興に尽力し、いち早く仮殿を建て維持運営に勤む。その後すぐ近くに適地を求めて境内地を移し、元梨本宮家の邸内社を譲り受け改装して新社殿とし、社務所・水舎・鳥居。灯籠・神輿庫等を建設し従来より当地の守神と仰ぐ中川稲荷神社を末社として奉斎。昭和二十七年これら全施設の完成を達成し盛大なる奉祝祭を執行する。稲荷の神はもともと農業の神であり、米一粒が何倍にも殖えるように広く殖産の神としてあがめられ商売繁昌の福の神はもとより諸産業の守護神としてあらゆる職業の人に信仰される。
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