橋場不動尊の名で親しまれる当寺は、正確には砂尾山橋場寺不動院といい、天平宝字四年(760)寂昇上人によって開創されました。当初は法相宗でしたが、長寛元年(1163)に、中興の祖といわれる教円坊(一説には長円)によって、天台宗に改宗され、浅草寺の末寺となったと『文政寺社書上』に記されていますが、現在は浅草寺と本末関係はなく、比叡山延暦寺の末寺となっています。
現在の本堂は弘化二年(1845)の建立で、その古色をおびたたたずまいは、うるおいにみちています。
本尊の不動明王像は、『江戸名所図会』に「縁起に曰く、本尊不動明王は、良弁僧都相州大山寺にありし頃、彫刻ありし三体の一にして、かの寺の本尊と同木同作なり。僧都一時上足寂昇師に告げて云く、三体のうち一体はこの山にとどめ、一体はみずから持念す。残るところの一体は、汝に附属すべしとなり。よって僧都化寂(宝亀四年齢八十二にして寂)の後、寂昇上人上総の方へ赴く道のついでたまたまこの地に至り、霊告を得て有縁の地たることをしり、ここに安じ、則ち村老野人にかたらひて草堂を営み、砂尾不動と号す云々。」とあり、良弁僧都の御作であることがわかりますが、このご本尊は秘仏となっており拝観することができません。しかし、お前立のご本尊としての不動明王があり、その偉容は周囲を圧しています。だれの作かはわかりませんが、おそらく鎌倉期のものと推察されます。
寂昇上人が、浅芽の生い茂るこの地に当寺を開創したのは、1250余年も昔のことで、奈良時代末期のことですから、文字通り橋場随一の古刹といえましょう。(橋場寺不動院HP)
2016年9月初訪
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