古代より杵築大社(きずきたいしゃ、きずきのおおやしろ)と呼ばれていたが、1871年(明治4年)に出雲大社と改称した。正式名称は出雲大社サイトには「いづもおおやしろ」、出雲大社東京分祠サイトには「いずもおおやしろ」とある(前者は新旧仮名遣いが混在、後者は新仮名遣い)。一般的には「いづもたいしゃ」と読まれ、複数の辞書・事典でも読みがなは「いずもたいしゃ」となっている。
二拝四拍手一拝の作法で拝礼する。明治維新に伴う近代社格制度下において唯一「大社」を名乗る神社であった。創建以来、天照大神の子の天穂日命を祖とする出雲国造家が祭祀を担ってきた。現在も、皇室の者といえども本殿内までは入れないしきたりを守り続けている。
祭神は大国主大神で、1142年(康治元年)在庁官人解状に「天下無双之大廈、国中第一之霊神」と記された。
神在月(神無月)には全国から八百万の神々が集まり神議が行われる(神在祭 旧暦10月11日 - 17日)が、出雲へ行かず村や家に留まる田の神・家の神的な性格を持つ留守神(荒神等)も存在しているので、全ての神が出雲に出向くわけではない。
そのような神集への信仰から、江戸時代以降は文学にも出雲の縁結びの神様として現れるほどに、全国的な信仰を集めるようになった。
出雲大社の創建については、日本神話などの伝承から、天津神(または天皇)の命によって、国津神である大国主神の宮が建てられたということであり、その創建が単なる在地の信仰によるものではなく、古代における国家的な事業として行われたものであることがうかがえる。(Wikipediaより)
本殿を覗き見る
大鳥居
稲佐の浜
2016年8月初訪
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