2019年2月10日日曜日

雑賀城@和歌山県和歌山市和歌浦

この城は鈴木重意(佐太夫)が築いた城で、妙見山上に「妙見堂」が建つ丘山上の北側に「千畳敷」と呼ばれる台状地があり、ここに居城を構えた。それを中心に、東に侍屋敷、西は町屋を置いて、中世の城下町を形成していたと思われている。いつの頃まで存在したのかは不明であるが、遅くとも秀吉が紀州征伐をする1585年(天正13年)には廃城となっていたであろうと推察される(この年から和歌山城築城が開始される)。和歌山市の一部に当たる雑賀地方は、十ヶ郷、雑賀庄、中郷、宮郷、南郷の5ヶ郷からなる。鈴木氏、土橋氏、島村氏、栗村氏、松江氏、宮本氏らが族党をつくり雑賀衆となった。鈴木重秀(雑賀孫市)は、雑賀衆を代表する者であった。雑賀地方は、京に近く戦乱の影響を受けやすかったのに加え、畠山氏・山名氏・大内氏が紀伊国守護となったが、実質的支配ではなかったことが、民衆の自立心を育て、「惣」による合議的政治運営が発達する。平時は耕地や漁猟に従事し、合戦があるたびに団結して力を発揮していた。また、早くから「一向宗」の信仰が広まったこともあって、精神的なよりどころともなっていた。それ以上に、大坂という近傍にある武力を持った宗教勢力として、同盟的な意味もあったのではないかと推測できる。但し、宮郷・中郷・南郷は「根来寺」の影響を強く受けており、一枚岩ではなかった。(Wikipedia)

2017年1月初訪

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