2019年1月28日月曜日

駿府城@静岡県静岡市

城郭構造は輪郭式平城で、府中城、静岡城などとも。
天守は現存していない。

もとは、1399年に駿河今川家3代当主今川泰範により築城された「今川館」で、賤機山城を詰城とする今川氏の居館であった。
しかし1568年、今川義元の死後武田信玄の駿河侵攻の際に焼失。
1586年に家康が今川館跡に駿府城を築城したという。
のちに家康は徳川秀忠に将軍職を譲り、大御所となって江戸から駿府に隠居。
このとき駿府城は天下普請によって大修築され、ほぼ現在の形である3重の堀を持つ輪郭式平城が成立した。天守閣は、石垣天端で約55m×48mという城郭史上最大のものであったが、1607年(慶長12年)に、完成直後の天守や本丸御殿などが城内からの失火により焼失し、その後も二度の再建があったようだが現存していない。
現在では、天守・櫓・門などの建造物や三重の堀のうち外堀の三分の一と内堀(本丸堀)は埋め立てられて現存していないが、残された中堀・外堀の石垣が往時の姿を留めている。(Wikipediより)



復元された東御門高麗門。






2017年8月時点では天守台の発掘調査の見学が行われていた。



徳川家康公銅像。

「家康公お手植えのミカン」。








2017年8月おそらく初訪



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