1583年(天正11年)から1598年(慶長3年)にかけて豊臣秀吉が築いた大坂城(豊臣氏大坂城)の遺構は、現在全て埋没している。現在地表に見ることのできる大坂城の遺構は、1620年(元和6年)から1629年(寛永6年)にかけて徳川氏が実質的な新築に相当する修築を施した大坂城(徳川氏大坂城)の遺構である。1959年(昭和34年)の大阪城総合学術調査において、城跡に現存する櫓や石垣などもすべて徳川氏、江戸幕府によるものであることが確認された。
元々は古墳時代の古墳があったと言われ、戦国時代末期から安土桃山時代初期には浄土真宗の寺院である石山本願寺があったが、1580年(天正8年)に石山合戦で焼失した。(Wikipedia)
付近は生國魂神社や、「日本書紀」にある「難波宮」の跡(古墳時代の難波高津宮以来、飛鳥時代・奈良時代の難波(現在の大阪市中央区)にあった古代宮殿)という。
豊國神社
1879年(明治12年)、京都府京都市東山区に鎮座する豊国神社の大阪別社として創建された。のちに京都・豊国神社から独立して豊國神社に改称。京都・豊国神社が訓読み(とよくに)で、豊臣秀吉のみを主祭神とするのに対して、当社は音読み(ほうこく)で、豊臣秀頼、豊臣秀長も配祀する。現在の鎮座地である大坂城二の丸は陸軍省の所管だったため、現在の大阪市北区中之島においての創建となったが、のちに城内(現・大阪城公園)へ遷座された。(Wikipedia)
2017年1月再訪
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