2019年1月28日月曜日

高崎城@群馬県高崎市高松町

平安時代末期に、この地の豪族和田義信が築城した「和田城」が元と言われる。
和田氏は室町時代に関東管領上杉氏に帰属。
永禄4年(1561年)当時の城主和田業繁は帰属していた上杉謙信に反旗を翻し、武田信玄についた。和田城は上杉勢の度々の侵攻によく耐えた。その子、和田信業は、北条氏に属した。天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原征伐の際には小田原城に籠城した。和田城の留守を預かる信繁の子・兼業は、前田利家・上杉景勝等の連合軍に大軍をもって包囲され、4月19日(新暦5月22日)に落城し、廃城となった。
小田原征伐の後、関東には徳川家康が入部した。家康の関東入部とともに箕輪城主となっていた井伊直政は、慶長2年(1597年)家康の命により、和田故城の城地に近世城郭を築き翌、慶長3年(1598年)直政は箕輪城から築城中の高崎城に移った。
その時に当地を「高崎」(箕輪城下に直政が創建した恵徳寺の開山龍山詠譚和尚の「松は枯れることがあるが、高さには限りがない」との進言により)と名付けたとされている。(Wikipedi)
















2018、再訪
2020、3月写真追加

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