2019年1月29日火曜日

足利織姫神社@栃木県足利市西宮町

1200年余の機場としての歴史をもつ足利。この足利に機織の神社がないことに気づき、宝永2年(1705年)足利藩主であった戸田忠利が、伊勢神宮の直轄であり天照大神(あまてらすおおみかみ)の絹の衣を織っていたという神服織機神社(かんはとりはたどのじんじゃ)の織師、天御鉾命(あめのみほこのみこと)と織女、天八千々姫命(あめのやちちひめのみこと)の二柱を現在の足利市通4丁目にある八雲神社へ合祀。その後、明治12年(1879年)機神山(はたがみやま)(現在の織姫山)の中腹に織姫神社を遷宮した。翌年の明治13年、火災に遭い仮宮のままとなっていたが、昭和8年皇太子殿下御降誕(現在の天皇陛下)を期し、当時の足利織物組合理事長の殿岡利助氏の先導により市民ぐるみで新社殿の建造にかかり、昭和12年5月に現在の織姫山に完成、遷宮した。平成16年6月、社殿、神楽殿、社務所、手水舎が国の登録有形文化財となる。(足利織姫神社HP)

祭神が機織をつかさどる『天御鉾命』と織女である『天八千々姫命』の二柱の神様で、共同して織物(生地)を織って、天照大御神に献上したといわれる。
織物は、経糸(たていと)と緯糸(よこいと)が織りあって織物(生地)となることから、男女二人の神様をご祭神とする縁結びの神社といわれる由縁という。(足利織姫神社hpより)


2014年足利織姫神社は、産業振興と縁結びの神様として【恋人の聖地】 に認定され、お二人で鐘を鳴らすと幸せになれると云われる『愛の鐘』などあり、筆者の来訪時も神社挙式が行われていた。
現在の社殿は昭和12年完成の鉄筋コンクリート製だが、平等院鳳凰堂をモデルとしたという朱塗りの宮は山の中腹に美しく映え、境内からは関東平野を一望できる。

足利織物の歴史は奈良期初期の713年(和銅6年)には既に織物業が始まっていたというほど古く、神社の北には機神山古墳群がある。
機神山の呼称がいつからの時代のものか知らないが、何か謂れがあるのかもしれない。
神社自体はまったく歴史が浅いのだが印象的な神社である。


2016年9月初訪


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