2019年2月2日土曜日

吉原遊廓@東京都台東区千束

江戸幕府によって公認された遊廓である。始めは江戸日本橋近く(現在の日本橋人形町)にあり、明暦の大火後、浅草寺裏の日本堤に移転し、前者を元吉原、後者を新吉原と呼んだ。元々は大御所・徳川家康の終焉の地、駿府(現在の静岡市葵区)城下にあった二丁町遊郭から一部が移されたのが始まり。
敷地面積は2万坪あまり。最盛期で数千人の遊女がいたとされる。江戸市中の中でも最大級の繁華街と言うことができ、吉原と芝居町の猿若町と日本橋が、江戸で一日に千両落ちる場所といわれていた。
売春防止法が可決成立し、翌昭和32年(1957年)4月1日に施行されると、吉原遊廓はその歴史に幕を下ろし、一部は「トルコ風呂」(ソープランド)に転身する。(Wikipedia)

吉原大門の「見返り柳」。


奥が見えないよう、S字カーブになっている


「おはぐろどぶ」の石垣跡という


「おはぐろどぶ」の名残の坂という。










赤線時代のカフェー建築。

樋口一葉「たけくらべ」の旅で来訪したが、もっと深く、歴史文化的にも、街歩き的にも魅力的な街です。


2016年9月再訪





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