2019年1月31日木曜日

羽沢城@群馬県甘楽郡南牧村羽沢



今回は雨が降っていたこともあり探索は出来なかった。

羽沢城の5代目城主、市川五郎兵衛真親は信州佐久浅科に私財を投じて五郎兵衛用水を開削しており、五郎兵衛新田として有名である。
南牧村に拠点を置く市川氏だが、甲斐市川大門に出たものといい、武田時代には佐久地方にも所領があったようである。
詳しくは再訪してから更新したい。


城跡の南牧村民俗資料館。
































離れたところに市川五郎兵衛真親の墓が残る

2018年9月初訪

2019年1月30日水曜日

金津園@岐阜県岐阜市加納水野町

明治21年(1888)、厚見郡上加納村字金津に開かれた、金津遊郭が始まりである。
後に柳ヶ瀬の西柳ヶ瀬に移転する(当時58軒あったという)。太平洋戦争時、この地に軍需工場を建設するため岐阜市東中島付近に強制移転される。整然とした地割上に急造されたが、バラック造りの風情がないものだったという。
戦後ここは、手力特殊喫茶街と呼ばれるようになる。1950年(昭和25年)10月15日、当時の国鉄岐阜駅南口の紡績工場跡地に一斉移転。この時業者は60軒あり、場所取りはくじ引きの上決められたという。この時1軒あたりの広さは63坪にきっちりとわけられた(現在も各店の敷地面積がほぼ同じなのはこの名残)。その後赤線地帯を経て、ソープ街になったものである(東京の吉原などと同様)。(Wikipedi)

「金津園」にも「赤線」時代のカフェー建築がそれなりに残っているらしいのだが、線路向い「青線」跡の「国際園のほうが街歩きには良い。というか「金津園」は現役でもありうかつに近づいて写真など撮れる雰囲気ではない。
歴史建築等に興味のある方は早朝の訪問がいいだろう。







2018年12月初訪

国際園@岐阜県岐阜市花園町

戦後、金神社境内にできた闇市「国際園」が「青線」化したために、昭和31年、現在の花園町に移転された。売防法が成立した頃だったために飲食店に転業可能な形で営業していたらしい。
現役風俗街である金津園の線路向いに立地するが、街歩きはこちらが楽しい。
街歩きには柳ヶ瀬商店街も良い味があるのだが、区画整理で立ち退きが進みどうなるかわからない。










2018年12月初訪