2017年7月10日月曜日

白井城@渋川市白井


「しらいじょう」と言われることもあるが、地元の読み方は「しろいじょう」とのこと。




「山内上杉氏の配下で家老職を勤めた長尾一族のうち、白井を本拠とした白井長尾氏の居城でした。
白井城の築城年代は、本丸の構造が武蔵の五十子城(いかつこじよう)と相似し、15世紀半ば頃、長尾景仲(かげなか)の時代と推定できます。景仲は、関東無双の知恵者と称された武将で、月江正文(げつこうしょうぶん)を開山として雙林寺を建立し、城内には京都から儒者を招いて家臣に儒学教育を施しました。
景仲の没後、北条氏・上杉氏・武田氏による攻防が繰り返される中、白井長尾氏は景信、景春、景英、景誠、憲景、輝景、景広と代替わりし、天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めが始まると、前田利家・上杉景勝の両軍を前に開城を余儀なくされました。
徳川家康の関東入府後、本多広孝が封ぜられ、沼田城の真田昌幸を押さえる前線基地の役目を果たしました。次いで広孝の子康重が城主となりますが、岡崎に移封となり、康重の第二子紀貞が入城しましたが、寛永元年(1624)に死去、嗣子がなく廃城となりました。」(渋川市役所ウェブサイト)


永禄年間に甲斐の武田信玄が西上野侵攻を開始する。吾妻郡の攻略を担当した武田家臣の真田幸綱(幸隆)・信綱により、永禄3年(1567年)3月に白井城は落城した。
一時期は真田昌幸が白井城代を務めている。


4月下旬、白井城下の白井宿では八重ざくら祭りが行われていた。
白井城は用事の途中で立ち寄った程度だが、ワイルドな遺構が印象的だった。隣県なので今度はゆっくりと探索したい。



白井城
群馬県渋川市白井 〒377-0204 群馬県渋川市白井581